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2017.2.22大田区立雪谷小学校で「被爆樹」授業します

20170222_090707_R.jpg 【Atomic Bombed Trees講演会】
大田区雪谷小学校の6年生、3クラスのみなさんに、「原爆からよみがえったヒロシマの木-被爆樹」について話します。学校司書のMさんから声をかけていただきました。6年生は、国語の授業で「平和のとりでを築く」という大牟田稔さんの文章を勉強したそうです。その「発展授業」として、ゲスト・ティーチャーに呼んでいただきます。

日程:2月22日(水)
時間:9時35分~10時20分・・・6年2組
 10時40分~11時25分・・・6年3組
 11時30分~12時45分・・・6年1組
場所:大田区立雪谷小学校の図書室

20170222_084859_R.jpg 広島市内の地図に紹介する被爆樹を書き込んだものをパネルにしていただく予定です。







【被爆樹を伝える−講演会の報告】
場所:大田区立雪谷小学校(東京都)
日時:2017年2月22日(水)午前中の授業にて、各クラス約40分
対象:小学6年生 1組34人、2組34人、3組31人

学校司書のMさんのご紹介で、ゲスト・ティーチャーとして呼ばれ、6年生の3クラスに約40分ずつ、「被爆樹」について授業をしました。国語の教科書に掲載された『平和のとりでを築く』(大牟田稔著)による平和学習の発展授業として。教科書の勉強は授業が終わると、心から抜け落ちてしまいがち、「原爆について、しっかりと心に残してほしい」という若い先生たちの強い願いがあり、呼ばれました。

授業では、「ヒロシマの木のそばで何が起こったか?」木の近くで生まれ育った被爆者の方々の証言を伝える形で、木の写真を見ていただきながら、お話ししました。幹に残るヤケド跡、亀裂、ウロなど、爆風や熱線による特徴も解説しました。ほとんどの生徒さんが「被爆樹」そのものを知らなかったけれど、真剣な表情で最後までじっくり聴いてくださいました。質問もちらほら。

生徒の皆さんからの感想文を6年3組担任のG先生が送ってくださいました。6年1組、2組、3組、生徒1人1人が感想を書いたカードが貼られた冊子。被爆樹の絵も描かれていて、感動です。いくつか感想文を紹介します。

◎「被爆樹が原爆でたくさんの人が死んでいったのを見ていたのを聞いて、「戦争を起こしちゃだめだ」とあらためて実感しました」(M.K)
◎「ぼくはこの授業をするまで被爆樹のことを全く知りませんでした。でもこの授業をして、色々なことが分かりました。ぼくは一本の木には人々の思いが入っていることが分かりました」(S)
◎「花の芽が出るのは、あたり前と思っていたけど、今日の話を聞いて、1つの芽で、大勢の人を勇気づける事ができることを知りました」(K.T)
◎「広島や長崎に原爆がおとされて、その傷跡ややけどがついた木が今までも生き生きと立っていることを知りました」(Y.K)
◎「僕は安楽寺のイチョウの話は思わず泣きそうになるぐらい感動しました」(K)
◎「被爆樹のお話で原爆のおそろしさと木の生命力の強さを知ることができました。そしてその被爆樹を今も残そうとしている人がいることもお話ししていただきました。ありがとうございました」(K.T)
◎「家族や友達に伝えます」「お母さんに話しました」「多くの人に被爆樹のことを伝え、戦争のない世界に貢献します」(R.T)など、原爆を〝伝えていく〟1人1人になってくださると期待できる感想も多くありました。


◎「私は被爆樹には傷あとがない」というので、いかに原爆がこわいかを感じました」
→傷あとがないのは爆心地の近くで生きる木。一瞬で焼失し、土の中から芽生えました。小さな芽から徐々に生長したため、傷はありません。一方、1キロ以上離れた木々は黒焦げになったところから芽生えたため、幹にヤケド跡や亀裂が目に見える状態で残っています。この他、「爆心地の方に傾いていると聞いて驚いた」など、被爆樹の植物的な特徴に興味を惹かれた人もいました。

◎「妹にも被爆樹の話をしたら、大田区にあるのも見たいと言っていました」
→原爆から蘇った木だけでなく、大田区内の東京大空襲を生き延びた木も紹介しました。皆さんが生活をする身近にも、戦争を体験した木々があることを知ってほしかったからです。

◎「杉原先生のいとこの話に感動しました」「いとこの思いを背負っている姿がとてもすてきだなと思います」
→ 2組の女の子から、「被爆樹をテーマにしたきっかけは何ですか?」という質問があり、亡き従兄のことを話しました。被爆二世の従兄は被爆50年を過ぎてガンになり、告知後、3ヶ月で亡くなりました。従兄の死は本当にショックでした。爆心地から最も近い本川小学校の教師をしていた従兄は、校庭に立つ被爆樹ニワウルシをテーマに歌「みんなの一歩」を作り、ギターを弾きながら、子供たちに平和の尊さを伝え続けていました。最後に会ったとき、従兄が「ヒロシマを繰り返しちゃいけん、戦争は二度としちゃいけんのんじゃ」と言った言葉が心に残り、いつかきっと、従兄の思いを受け継いでいきたいと思った、と話しました。この私の話について感想を寄せてくれた人も多くいました。

最後に皆さんにお願いしました。「お友だちやご家族に聞いてみてください。〈被爆樹って、知っている?〉」と。

もう卒業してしまった皆さんですが、心のどこかに平和の種が蒔かれたことを願っています。中学生になり、忙しくなって忘れてしまっても、いつか大人になったとき、被爆樹のことを思い出して、原爆、戦争の残酷さを後世に伝える人が1人でも2人でも現れると嬉しいなと思います。
6年生の皆さん、真剣に聴いてくださって、ありがとうございました。
この機会をくださった、担任の3人の先生、学校司書のMさん、心から感謝いたします。